金城江アゲイン
2年半の沈黙を破り再度桂林へ
一週間を要し攻略困難な奥地に潜入!


訪問時期:2002年9月(なんと今年5度目の中国行き♪)

携行した機材

カメラ:ライカM2、M5
レンズ:Mロッコール28mmF2.8、エルマー50mmF3.5沈胴(戦前:コーティング無し)、ズミクロン50mmF2沈胴、ソーラ90mmF4
フィルム:100F、アクロス100
(掲示写真は全てカラー、M5で撮影、50mmはズミクロン)


★はじめに★

今回は写真付き読み物です!

今回はO隊長と北京から呼んだガイドを伴って、いわゆるYの字の路線の先の特に攻略困難とされてきた道路のつながっていない地域(Yの字の左上)へ向かいます。2年前にパジェロで無理やり行った方々(RM誌に記事が出たのでご存知ですね)と同じ方法ではなく歩き、馬車でもいいというスタンスでしたが後発組2名もいたので現地で車を探すこととしました。案の定、都川(Duchuan)と大沙坡(Dashapo)の間の問題の区間では道は切れており補修工事中となっていました。宿は撮影地に予定した肯甫(Kenfu)には宿があるか不明だったので最悪農家に無理やり泊めてもらうという計画です。行きと帰り各2日、現地3日で合計一週間掛かってしまいます。

★金城江へ★

JDでまず広州へ入りました。ガイド(いつかどこかで会ったことがあるガイドだった)と合流し17:30の重慶行き夜行急行で一泊して金城江へ朝7時過ぎに到着します。夜行急行は1両だけ冷房車で我々の乗った硬臥車(3段寝台:コンパートメントではない)は冷房なしでした(タラ;)。客車は色は3色になっていますが中身は大変なボロです。いつも列車に乗るときは厳寒期の東北地方ばかりなので窓を開けている寝台車には初めて乗りました。風景といい米倉涼子の出ていたお茶のCMのイメージそのままです。寝台車に乗る時に切符を車掌に渡して寝台の札を受け取るのですがそのときに無理やりミネラルウォーターを3元(市価2元)を買わされる様で客がみなブーブー言っていました(笑)。我々は中国語が通じないので問題なし。寝台の向かいは若い女性二人で重慶から出稼ぎに来たがあまり稼げないので帰ると言っていました。重慶までは列車で2泊だそうです。言葉が通じないので我々は北京から来た役人だとばかり思われていたようです(南のほうはふつう広東語を使う)。食堂車は健在でしたが車販用のぶっ掛け飯のゴンドラ用の料理が終わんないと食堂車のお客の料理が全然来ません。先の女性たちはホーローでできたマグカップのでかいようなのを持っててあとで袋入りのラーメンを食べてました。

★寄り道★

平塞(Pingzhai)行きの列車は14:15発なので金城江西の机務段(機関区)へ向かいます。タクシーで6元ぐらいでした。途中建設牽引の貨レ(貨物列車)が止まっているのを見ましたが金城江へ行ってまた帰ってくるだろうと待っていたところのろのろ貨車先頭でやってきて止まりました。どうやらバラスト工臨のようで1列車分づつ移動してはバラストをばら撒いています。机務段はまったく撮るものなく昼食後客レ(客車列車)に乗車しました。続く↓

50mm 気温が30℃ぐらいありものすごい日差しだった。


★現地入り★

まず車探しの都合を考え1日1往復しかない金城江14:15の混合客レ(客車と貨車が一緒に連結された旅客列車)で終点の平塞まで行きます。この日は車を見つけてパジェロ組が泊まった炭鉱の招待所(平塞からは離れている)で泊まる予定でした。肯甫で宿があれば車を諦めて降りる予定だったのですが、停車中人に聞くとやはり「宿はない」とのことでした。なので終点まで乗車。車掌に宿はあるかと聞くと「鉄道の招待所が駅前にある」と言うではないですか!、鉄ちゃんのいけない性ですね(笑)。O隊長「ドラフトを聞きながらじゃ寝らんねえな!」ニコニコ顔で宿泊地決定。部屋は2部屋取りましたが普格の鉄道招待所と同じ3人部屋だったのでガイドも同じ部屋にして先発隊は1室で済ませました。1泊90元(約1500円:高い!)、パイプベッドに蚊帳があり、TVもあった(隣の部屋のは故障してるらしい)。充電用の電源は取れるがシャワーは水だけで冷たい。10月から冬季だけお湯も出すらしい。ちなみに私らの間ではこの辺の招待所は5つ星評価で星0.5とか言っています(笑)。

★食堂探し、車探し★

駅前に車はいなかった食堂もなかった。とりあえず飯より先に車を何とかしないといけないので人を手当たり次第に捕まえて車を探す。なんとか小型のバンを1台確保した。
食事は仕方なく宿の餐庁でとる。なんかすごいしょぼい。コックは「チャーハン知らない」とか言い出した。中国人にあるまじき暴言だ(笑)。四角いかたまりのご飯が出てきた。豚肉&牛肉の煮物(作り置き)、青菜の炒め物、それから鉄ちゃん定番のトマたま+ビール1本で19元だった。安い(ご飯はO隊長、私、ガイドの3人分)。ビールのコップはないとか言われて焼酎で使い回したまま洗ってないようなプラのちゃちなコップが出てきた。結局茶碗を出してもらい飲んだ。ガイドと翌日合流の2人のうちの片方はほとんどのものが口に合わなかったようだ。

★夜★

駅では夜通し入れ替えと、石炭の積み込みやってる。「隊長!うるさくて本当に寝られないっす(^^;」

★翌日★

最初の貨レ(貨物列車、北行:7時台)を肯甫駅前の鉄橋でやることにして5:30出発。なんと車はちゃんと来てくれた(ふつうこういう時間を指定すると時間に来ない)。運転士はフツ族という少数民族の青年で平塞から1時間も掛かるところから来てくれたらしい。道路はうわさ以上の悪路でキャタピラが欲しいって感じ。雨の日はトラックはタイヤにチェーンを巻いて走っているらしい!真っ暗なのでよくわからないがどうも20分ぐらい終点より奥へ行ってから川を渡って肯甫のほうへ向かった。まだ真っ暗なのに炭鉱の労働者がたくさん歩いています。肯甫駅前の鉄橋の向かいに到着したのが7時。「うげっ1時間半も掛かってんじゃん」。丘はひざ以下の草しか生えてないので簡単に登れた。ほどなく貨レ到着、入れ換え後出発。朝は半逆だがロケーションは悪くない。続く↓

28mm 登頂後ほどなく来た貨レ。ん!やはり朝の煙に限りますな!


すぐ山を降りて大沙坡の間の横位置でカルスト山をバックに撮れる場所(RM記事C3地点)へ移動。この移動も30分ぐらいかかった。メインディッシュ混合客レ(南行)はかなり遅れて来て難なく撮影、続く↓

28mm ん!いい!

大沙坡へ移動するが極度に道が悪化。車がパンクし歩いて大沙坡へ向かう。食堂なし。ハエだらけの売店に食べ(られそうな)物なし...朝食を逃す。活動意欲が極端に低下。家庭用のプロパンガスボンベを運ぶモーターカーと保線車通過後、10:40ワキを1台だけ引いた貨物(北行)が通る、続く↓

35mm なんなんでしょうなこれは。ちなみに列車のいるあたりが大沙坡駅です。ホーム、駅舎、交換設備無し。


35mm 13:00ごろの貨レ

大鉄橋付近へ移動し車待ち、かんかん照り。暑い。13:00ごろ貨レ(北行)あり、撮ってから肯甫へ戻り昼食(戻る途中踏切で貨物(南行)に遭遇)。米粉がうまいということだがやっていた店では米粉はなくて冷えたビールがあった!(というよりO隊長はビールがあるかで店を選んでいたようだ)、ようやく売店があったので水を購入。アルコールにより活動能力復活せず。スナップも撮れると思うが現地少数民族(チワン族など)の反応がわからない(我々はやはり北京の役人だと思われていたらしい→汚いジーパン履いてカメラを何台も下げた役人はいないと思うが..)のでこの旅行では自粛、続く↓

35mm たまたま踏切を通るときにだったのであわてて走って位置に着くとカメラに付いてたレンズは35mmだった。


35mm こっちは超お気に入りのショット♪

駅近くのめがね橋をやろうと対岸の山肌のけもの道を行くが酔っているのでなかなか進まない。満足な場所に着く前に貨物(南行:15:00ごろ)が通過。 朝登った丘にいやいや登り混合客レ(北行:遅れて17:00台)を撮る。平塞へ戻る途中踏切で貨物(南行:突然すぎ撮影NG)に遭遇。帰り道、平塞より先にいいロケーションの線路が続いているのを発見、「すばらしい場所」と名付ける。機回し線か。

★2日目★

前日の客レで来た2人が加わって5:30出発、昨日と同じく最初の貨物(北行:7時台)を肯甫駅前の鉄橋でやることにしたが来ない。撤収しC3地点に移動するが途中で混合客レに追い抜かれる悲劇発生! 後発組がC3地点で1本撮れるよう12:00まで滞在する。私は前日、撮ったのでもうすこし移動して待った。11:30すぎまですぐ前でモーターカーがバラスト撒きやってるし。12:00直前にようやく貨レ(北行)通過。かんかん照り、暑い、続く↓

50mm 12:00直前の貨レ


肯甫で昼食後、後発組は踏切へ、先発組はめがね橋を撮るため川を渡る計画。道路の石垣から河原へ降りるための現地人の石段があり楽に川岸へ、堰の上ならひざぐらいで渡れそうなので入る。ジャブジャブ渡るつもりだが裸足だと痛い。コケでぬるぬるする。結局靴下を河原にほっぽって靴を履いて渡河。ほどなく貨レ(南行)が煙を出して通過。ゥシャ!。靴もきれいになった。続く↓

50mm 川で水遊びしてそろそろカメラでも出すかと出したとたん来た、危ない、危ない..


50mm 混合客レ、煙無し。やはり朝だな

これで最後と何度も登った丘に登り混合客レ(北行:遅れ)を待つ、貨レ(南行)と肯甫で交換だった。煙なし。その後超大雨、明日気温低下と霧の期待が掛かる。夕食は帰りの途中の立化というところで食堂によるつもりだったがこの日は何とかの日で町中全店休み(ついてない)、仕方なく宿の餐庁へ。後発組言葉を失った(笑)。業を煮やしガイドは厨房に侵入、勝手に東北料理(ガイドはハルビン出身)とチャーハンを作った。

★3日目★

5:00出発、直接C3地点へ、C3地点近くの踏切で貨レ(北行:撮影NG)に遭遇。混合客レ(南行:遅れ)、11:00ごろ踏切で貨レ(北行)、貨レ(南行:肯甫で交換)を撮影。毎回ながら踏切のおっちゃん大体の時間を言うだけだなっと思ったら電話ないじゃんここ。おっちゃん汽笛が鳴ったら踏切閉めるんだってさ。なんだそれ(笑)。しかも朝晩いないし...天気は雨、気温は下がったが煙、霧は出ず。どうもカマにより煙を出すカマ。出さないカマがあるようだ(笑)。肯甫で昼食後、平塞へ戻る。途中炭鉱をバックに貨物(南行:14:00台)を撮る。その後「すばらしい場所」へ向う、踏切に今日は人がいたので聞くと機回し線で石炭の積み込み所もあって貨物を引いてくることもあるらしい。これはということで1時間待つが来ない。混合客レの平塞到着をやりたいO隊長と協議、延長するも来ない。撤収し移動中踏切の遮断機が動き出す!。あわてて車を降りると単機通過。撮影場所は反対側になりいまいちだったが撮れた。再度協議。貨車付きの返しを期待し混合を捨てる賭けに出た。当たり。貨車付き、煙あり。結局混合は大分遅れて来てこっちもGET。終了。夕食はカップ麺!カップ麺は-20℃以下の屋外でないとうまくないようです(反省)。

50mm 11:00ごろの貨レ(北行)



50mm 「すばらしい場所」ですが本当は画面左から狙う。左からだとΩ状のカーブが見えて良い。

★帰りの日★

混合客レで現地とさようなら。肯甫、大沙坡、踏切では顔を覚えた人がみんな気付いて手を振ってくれたのがうれしかった。この日柳州からの飛行機がウヤ(運休)になってしまったので桂林まで行かねばならず普格(Poluo)付近での撮影時間が取れない。普格から車で出たが高速は金城江から乗るので昼食後、再度金城江西へ立ち寄った。ちょうどいい場所に機関車が1台止まっていた。

28mm やはりココで撮るのが一番カルストらしい気がする。(^^;

★おわりに★

今回は最初から行程が設定されたツアーではなかったので言葉の重要性を実感させられました。北京語学習しますか!


★現地手配について★

ガイド:
鉄経験豊富なガイドを北から(北朝鮮ではない)呼んだほうが無難なようです。現地人は原住民族なので標準語(北京語)を解す人はいくらかいますが広東語がどのくらい通じるかは未知数です。チワン族、フツ族他もそれぞれ言葉は違うと言っていました。次回機会があっても今回のガイドは来てくれないだろうなぁ..(笑)。

宿、車:
我々が泊まった鉄道の招待所は普格の招待所と同じく出発前に手配が出来るかもしれません。あとは平塞からタクシーで15分ぐらいの立化には宿が存在する可能性があります。タクシーは客レの到着時間しか駅にいないので要注意です。このときいるタクシーを車としてチャーターする以外には町で車を確保する方法はないかもしれません。我々も手配に相当苦労しました。柳州、桂林から車(およびガイド)を手配するのは金、時間が掛かるとともに道もわからないうえ工事でしばしば寸断されるので現地旅行会社がいやがり難しいようです(パジェロ組の後遺症か?)。馬車、ろば車、牛車、金蛙(オート3輪)いません

バス:
ないと思ってください。客レの時間に合わせて立化方面から肯甫に2台ぐらい来ますがたぶん使えないでしょう(肯甫−平塞間列車15分、車1時間半)。

料理:
基本的な中華料理はないと思ってください(タラ;)。饅頭、ぎょうざありません。私は大丈夫でしたが(味、香り、衛生的に..)無理な人も多そうですね(笑)。ビールも初日から飲みまくると店の在庫がなくなりますので要注意です(笑)。

撮影プラン:

撮影場所は肯甫が中心になると思います。とりあえず平塞の招待所に泊まって車が手配できれば車、車がなければ朝の客レで出かけて夕方の客レで平塞に帰るしか手がないでしょう。自分たちの移動に比べて列車が大変早いので移動はなるだけ控えたほうが撮り逃しが少なくなると思います。歩きで移動の場合は線路の方が道路より歩きやすいです。平塞で撮影する場合は機回し線しかないでしょう。撮影時間ですが9月中旬で肯甫の夜明けが7時ちょいすぎ、日没は5時ぐらいでしたので冬は客レは全然撮れない危険があります。

旅全部の手配は:
O隊長に任せるのが一番簡単でしょう。なんと言っても現地を歩いた知識がありますから..

では健闘をお祈りします。


フレーム表示ではない場合

(C)Hiromi Masaki